“私がやらなきゃ”が手放せなかった理由。2歳の息子との小さな実験で気づいたこと

BCTM1419 1 心と暮らし

「私がやらなきゃ」が、まだ心の奥に残っていた

「私がやらなきゃ。」

最近、ふとした瞬間に、

この言葉がまだ自分の中に残っていることに気づきました。

もう手放せたと思っていたのに、

どうやらそう簡単には消えていなかったようです。

形を変えた「私がやらなきゃ」とは、

相手のためを思っているようで、

実は自分のペースで進めようとしてしまう、

そんな静かなコントロールの感覚でした。

怒りでもなく、焦りでもなく、

「ちゃんと導いてあげなきゃ」

「整えてあげなきゃ」

という、優しい顔をした思い込み。

そんなことを思い出したきっかけが、

息子が2歳だった頃の、ある日の出来事です。

2歳の息子との小さな実験

当時の息子はイヤイヤ期真っただ中。

家事も買い物も、何をするにも私の思うと通りには進まず、

私はいつもどこかイライラしていました。

でもある日、ふとこう思ったのです。

もしかして、

息子も私のペースに合わせることに、

同じようにストレスを感じているんじゃないか、と。

そこで私は、

「今日は一日、息子の言うこと全てに“YES”と言う日」

という実験をしてみることにしました。

「ご飯できたよ」

「まだ遊ぶ」

「じゃあ、お母さん先に食べるね」

数分後、

「僕も食べる」

「テレビみたい」

「いいよ」

「おやつ食べたい」

「いいよ」

好き放題になるかと思いきや、

テレビもおやつも、驚くほど自然なところで終わりました。

そして、ここでひとつだけ、

大切にしていたことがあります。

それは、

息子をコントロールするための「YES」ではない、ということ。

「お母さん先に食べるね」の裏に、

「早くあなたも食べなさい」という意図はなく、

ただ、

「あなたはあなたのペースでいいよ。

お母さんは今、食べたいから食べるだけ」

という、息子と自分を切り離した感覚でした。

そして、いつも一番大変だったお風呂。

「お風呂入ろうっか」

「はーい」

その日は、すんなり入ってくれたのです。

私はとても驚きました。

そして同時に、こう感じました。

今日一日、

自分のペースで尊重してもらえたから、

息子は満たされていたのかもしれない、と。

たまたまだったのかもしれません。

でも、あの日の私は、確かにいつもより力を抜いていました。

JAUY6895

相手のペースを尊重するという選択

今思えば、あの頃の私は、

息子のためを思いながら、

どこかで「私のペースに合わせてほしい」と願っていたのだと思います。

あの日の実験は、

息子を自由にしたようでいて、

実は私自身が「私がやらなきゃ」から

少し離れる時間だったのかもしれません。

私が「やらなきゃ」を手放したとき、

息子は、何も言わなくても自分のペースで整っていった。

それはとても静かで、優しい発見でした。

満たされると、人は自然に整っていく

この実験は、その一日きりで終わりました。

毎日できることではありません。

だからこそ、あの日は「実験」でした。

それでも、

今でも時々、この日のことを思い出します。

そして思うのです。

私たちも、

自分の心を満たしてあげることができたら、

あの時の息子のように、

もっと自然に人に優しくなれて、心に余裕を持ってすごせるのかもしれない、と。

そして、私は余裕があったからできたのではなく、

力を抜いたから、少し余裕が生まれたのかもしれません。

FXOO4610

「私がやらなきゃ」を手放すということ

「私がやらなきゃ。」

それは、

私のペースでやろう、管理しよう、

コントロールしようと力みすぎている時に

顔を出す言葉なのだと気づきました。

そんな時は、

あの日の実験を思い出してみる。

相手のペースに任せてみる。

流れに任せてみる。

そうすると、

自分が力んで頑張るより、

物事は案外、スルスルと進んでいくのかもしれません。

「私がやらなきゃ」を手放すことは、

無責任になることではなく、

信頼を思い出すことなのかもしれない。

そんなふうに、

今は静かに思っています。

「私がやらなきゃ」に気づいた後、

そういえば、「ちゃんとしなきゃ」も、

同じ場所から来ていたなと思い出しました。

300 250