私はずっと「ちゃんとしている人」だった
子どもの頃から、私は「ちゃんとしている子」というイメージを持たれていたと思います。
でもそれは、私がそうなりたかったというより、
周りの大人の言葉を聞きながら、そういう自分だと認識していった、
という方が近い気がします。
親に言われたこと。
先生が言ったこと。
それをちゃんと守る。
疑問を持つこともなく、そのまま大人になり、
社会人になりました。
ちゃんとしていることで、
周りから信用され、評価されてきた面も、きっとあったと思います。
ちゃんとしているほど、心は重くなった
でも、だんだんと心は重くなっていきました。
責任や立場が増えるほど、
「私が頑張らないと」
「なんか、自分ばかりがしんどい思いをしている気がする」
そんな感覚が強くなっていって。
常に改善して、向上していかなければならない。
止まってはいけない。
そう思っていました。
病院勤務をしていた頃、
周りから「無理しないでね」と言われても、
「無理って、どこから?」
自分の限界が、分からなくなっていました。
評価はされる。
でも私は、知らず知らずの内に、自分がすり減っていく気がしていました。
全部のボールを受け止めていた私
あるとき、同僚にこんなふうに言われました。
「あなたは、人の言葉を全部ちゃんと受け止めてるよね。
めちゃくちゃ取りにくいボールを投げられても、全部取りにいってる感じ。」
それは、褒め言葉ではありませんでした。
“そんなに全部ちゃんと受け止めなくていいんだよ”という意味でした。
その時、私は正直こう思いました。
「えっ?みんな、人の話ってちゃんと受け止めて聞いてるんじゃないの?」
私は、本当に全部をちゃんとしようとしていたのかもしれない。
ちゃんとすることで、
「ちゃんとした私」という評価を守ろうとしていたのかもしれません。
ちゃんとしなきゃの正体に気づいた日
ちゃんとすることで守られてきた信用や評価。
だからこそ、どこまでちゃんとやって、
どこからテキトーでいいのか、その境界が分からなくなっていました。
今なら分かります。
ちゃんと、自分の身体や心に聞けばよかったんだ、ということ。
そして、プーケットに来てから、
「日本人って、本当にちゃんとしているんだな」と
実感した出来事がありました。
店員さんが、カウンターの内側でご飯を食べながら接客していたり、
タクシーの運転手さんが家族と電話しながら運転していたり。
日本では、きっとありえない光景です。
驚きましたが、同時に思いました。
日本人は、
自分よりも相手を先に考えることが、当たり前になっている国なんだな、と。
それはとても美しいこと。
でも、私たちは、
もう少し自分に優しくなってもいいんじゃないかな、と思いました。

ちゃんとしなくても、それでいい
病院勤務時代、そして子育て。
ちゃんとすることが大切な場面も、もちろんあります。
命を預かる現場では、
ちゃんとしていることはとても重要です。
子どもに対しても
きちんと向き合うべき場面はたくさんあります。
責任感も、大切なものです。
でも、それが度を過ぎると、
「何のために、私はここまで頑張っているんだろう」
「どうして、こんなにやっているのに分かってもらえないんだろう」
そんな意識に変わってしまう。
それが、心の重さになる。
だから今は、
自分の頑張りすぎに気づいてあげるようにしています。
そして、そっと声をかけます。
「どこか、手を抜いてみようか?」
「今日は、サボってみようか?」
そうすると、
「今日はサボろう」と返事が返ってくる日もあります。
今の私は、
無理のない家事をするとき、
そんな風に自分に話しかけています。
ちゃんとしなきゃ、を手放したら、
ちゃんと、自分に優しくなれました。
プーケットのお正月の、
あの緩やかな時間の中で、
私はようやく、そう思えるようになりました。



